海運プラザ クローズアップ明和

第6回明和船団オーナーズ

明和海運では、自社で所有している船舶(4隻:注)と船主(オーナー)から借りて運航している船舶(13隻:注)によって、明和船団を構成しています。(注)2012年9月現在

このコーナーでは、明和海運のファンネルマークを付けた船舶を所有し、荷主様のご要望にお応えすべく、高い運航品質の維持に取り組んでいる明和船団のオーナーを数回に分けてご紹介します。

日松汽船株式会社 代表取締役 松井 正之 さん

【会社概要】

会社名 
: 東明汽船有限会社
所在地 
: 岡山県備前市日生町日生886-10
社 長 
: 代表取締役 松井 泰之
所有船舶 
: 第三東明丸(だいさんとうめいまる)
  宝伸丸(ほうしんまる)
  ※明和船団の船舶のみ記載
第三東明丸 宝伸丸

~オーナーへの道~

オーナーへの道

家業は海運業で、その始まりは曾祖父の代に遡り、 明治時代の中期から現在に至っています。
曾祖父が魚の運搬船を始め、大浜で獲れた魚を神戸の魚市場(脇の浜)まで運んでいました。
当時の船にエンジンはなく、毎日、小豆島(福田湾)と神戸間を運航していました。
戦時中、運搬船は速力が速かったため、海軍に徴用されました。

オーナーへの道

その際、船長と機関長も一緒に徴用され、その船員の給料は会社が負担していたため、当時の経営は相当大変だったようです。
父(左写真、左下の人)が戦争から帰還し、魚の運搬船を止めて、昭和28年に鉄鋼石の輸送を始めました。その後、鉄鋼石が取れなくなり、ケミルタンカーをやらないかという話があり、昭和41年に初めてのケミカルタンカーを建造し、運航を開始しました。

恐らくケミカルタンカーの先がけだったと思います。そして、昭和51年に、当時は東京港内の配給船を運航していた明和海運がケミカルの取り扱いを開始するに当たって、私の父に打診があり、松井汽船の子会社「東亜汽船」にて「第一明和丸」を建造し、運航を開始しました。 これが、明和海運にとって初めてのケミカルタンカーとなりました。
私は、大学卒業後、「松井汽船」に入社し、昭和60年に「東亜汽船」の代表取締役に就任しました。そして、松井汽船のもうひとつの子会社である「東明汽船」の代表取締役に平成21年に就任し、平成19年に竣工した「第三東明丸」を東亜汽船から引継ぎ、平成22年に「宝伸丸」を建造し運航を開始して以来、現在は明和船団で2隻の運航を担っています。

~オーナーってどんな人?~

オーナーってどんな人?

真面目で、物腰が柔らかく、見た目そのままの人です。
読書家で、特に歴史への造詣が深く、良い本があると私達の分まで購入して、読むことを薦めてくれます。
一方、プライベートではアウトドア派で、自転車、バイク、ウォーキング、スキーなど幅広くアウトドア・スポーツをこなし、アウトドア用品も沢山揃えていて、実は「ワイルドな知識人」なのです!

~オーナーさんのとっておき!~

オーナーさんのとっておき!

日生諸島は、瀬戸内海国立公園なのです!

日生は本土と瀬戸内海に浮かぶ大小13の島々の日生諸島からなる港町で、江戸時代から瀬戸内の漁港として漁業が盛んでした。
江戸時代は、幕府や大名の船の御用を勤める加子浦(かこのうら)に指定され、その見返りに漁業の優先権が与えられていました。

そのような背景から、日生には多くの船と船主が存在し、その多さから「いろは48隻」とも呼ばれ、所有している船が大きすぎて、「あほう船」とも呼ばれていたのです。
今日に至っては、日生諸島は、瀬戸内特有の温暖な気候に恵まれており、四季を通じて様々な海の幸が堪能できる観光地として知られるようになりました。

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