海運プラザ クローズアップ明和

第12回明和船団オーナーズ

明和海運では、自社で所有している船舶(4隻:注)と船主(オーナー)から借りて運航している船舶(13隻:注)によって、明和船団を構成しています。(注)2013年2月現在

このコーナーでは、明和海運のファンネルマークを付けた船舶を所有し、荷主様のご要望にお応えすべく、高い運航品質の維持に取り組んでいる明和船団のオーナーを数回に分けてご紹介します。

Vol.8 有限会社 太世マリン 代表取締役 吉本 興造さん

【会社概要】

会社名 
: 有限会社 太世マリン
所在地 
: 広島県呉市三条三丁目11番1号
社 長 
: 代表取締役 吉本 興造
所有船舶 
: 興和丸(こうわまる)
興和丸(こうわまる)

~オーナーへの道~

オーナーへの道

 私の実家は、倉橋の須川という地区にあり、そこには当時100隻程度の船が停まっていて、町の産業は海運中心でした。昔から倉橋は和船の造船で栄えた町でもあり、昨年NHKで放送された「平清盛」のドラマセット用の和船も倉橋で造ったものです。
父も船乗りで、個人で船を持ち、会社を経営していました。

私が小さかった頃は、父は京浜地区で貨物船に乗っていたので、父が乗っている船を見に行くことはできず、たまに父が帰ってきて会えるという感じでした。
普段、父は家にいないのが普通で、周りの友人も親が船乗りで同じ環境でしたので、特に寂しいとか、そういった感情は一切ありませんでした。友人の中には、両親(父母)が船に乗り、家には祖父母しかいないという家庭もありました。そういう時代だったのです。
そんな環境で育ち、兄弟は姉一人で私が長男だったので、必然的に船に乗るものだと思っていました。
ですから、他にやりたい事があるとか、迷いもなく、当然のこととして18歳の時に学校を卒業して、父の船に乗る道に進みました。
私が21歳の時に貨物船から特タン船に切り替え、父と叔父と私の3人で乗っていたのですが、しばらくして父が病気になり亡くなりました。私が23歳の時のことです。それから2年間は父が残した船に叔父と私と新たに雇用した船員の3人で乗っていましたが、25歳の時に独立し、実質的に父の会社を引き継ぐことにしました。自分の船があり、父も亡くなり会社を引き継いでいかなければなりませんでしたし、食べていくためには、只々、一生懸命働くしかなく、年齢が若いとか関係ありませんでした。その頃、私は独身ということもあり、生きていくために怖いものはありませんでした。
私は30歳の時に結婚し、4人の子供を授かりました。そして、41歳の時に会社を法人化しました。2000年代半ば頃から、業界に不況の波が押し寄せてきて、将来的な事を考えると、このままでは妻と4人の子供を幸せにすることはできないと考えるようになりました。
私はオペレーターとは、長い付き合いをすることを大事にしており、特タン船のオペレーターとは31年間の長い付き合いでしたが、一大決心をして、特タン船をケミカルタンカーに切り替えることにしました。
平成16年で私が55歳の時、ケミカルタンカー(499トン)を建造し、社名を「太世マリン」に変更しました。船名は私の名前「造」の頭文字と、「明海運」の「和」をとり「興和丸」とし、社名は、息子の「輔」と「紀」の頭文字をとりました。ここから明和海運との取引が始まったのです。

~大切にしていること~

大切にしていること

基本的に「整理整頓」が一番大事だと考えています。
船員を信頼していますので、こちらからうるさく言うこともしないのですが、実際、船では「整理整頓」が浸透しています。
船員から「整理整頓」に必要な道具について要求があった時は拒否をしないようにしています。せっかく、船員がやる気があって要求しているのですから、こちらからそれを拒むことはしません。そうした船員の意識が、結局は船体整備にも繋がっているのです。

もう一つ大事にしていることは、「船内の和」です。船内の和が保たれているか、訪船時にはまず船長から聞いて、確認するようにしています。実際、船に行けば雰囲気で分かるものです。少ない人数ですので、「和」というものをとても大事にしています。
ですから、訪船した時は、船員達と色々な話をして、その中から、どのような事を思っているのか聞くようにしています。こちらから何かをいうより聞くことの方が多いですね。可能であれば、夜は懇親会もしています。月に1~3回位でしょうか。昼とはまた違った本音が聞けますし、こちらからも本音ベースで話ができますので、打ち解けてお互いの理解を深めるのに良い場となっています。
私も酒は嫌いじゃありませんし、当社の船員は皆酒好きですが、だらしなくないので、良い雰囲気の中で懇親会ができるのです。

~オーナーってどんな人?~

オーナーってどんな人?

 オーナー業をしていますので、以外と思われるかもしれませんが、「すごく真面目な人」です。
夜遊びはしませんし、派手なこともしません。父は「整理整頓が大事」と言っていますが、その通りだと思います。よく一人で庭の手入れとかもしています。
子供の頃は、たまにしか帰ってきませんでしたが、目の前に船があるので、父が何をしているか分かっていました。船には良く連れて行ってもらい、こういうのに乗っているんだと教えてくれましたので、小さい頃から船には親しみがありました。
 私は商船学校を卒業後、東京にある海運会社の社船に6年間乗船してから父の会社の船に乗るようになったのですが、実は父とは船で一緒に仕事をしたことはありません。

父は38歳の時から船を降りて、陸上で会社の経営に専念していましたので、船で一緒に働く機会がなかったのです。ただ、2年前位から、私も船に乗る回数が減り、2ヵ月に1度程度で、乗船して長くても1ヵ月、短ければ2週間程度になりましたので、オペレーターの会合に出席したり、父と一緒に仕事をする時間が増えました。
それまでは、ずっと船に乗っていましたので、航海士・乗組員としての観点でしか物事を考えていませんでしたが、父と一緒に仕事をするようになってからは、陸上から船を見る観点が加わり、乗組員側と会社側の両方で船を見て考えるようになって、はじめて父のすごさを思い知りました。
父を見ていて、常に船のことを考えて行動しているところは、自分もそれと同じようにやっていきたいと思っていますが、中々真似のできることではなく、素晴らしいと思います。

~オーナーさんのとっておき!~

オーナーさんのとっておき!

倉橋の家庭料理の定番、「酢牡蠣」がお薦めです!

倉橋出身の妻が作る「酢牡蠣」はちょっと一味違います。普通、牡蠣の「ぬめり」をとるのに、海水や塩水を使うと思うのですが、我が家は大根を下した中に生牡蠣を入れて洗うのです。そうすると「ぬめり」と多少の臭みも取れて、綺麗になりとても美味しいのです。
妻の実家では、「酢牡蠣」を作るとき普通に行われる方法で、倉橋地区ではどうやら定番のようです。

美味しいと言っていながら、実は私と長男(太輔)は酢牡蠣は苦手なのですが、妻、次男、長女、そして次女は大好物なのです。一説によると、酢牡蠣を食べられないようでは通とは言えないようです。
倉橋地区の定番、大根おろしで洗った「酢牡蠣」を是非一度お試しください!

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