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第28回門(もん)散歩

当社は都営三田線「御成門」駅と都営浅草線「大門」駅付近に位置しており、その周辺には「増上寺」をはじめとして、歴史上の名所や文化財が多く所在しています。
このコーナーでは、地名にちなんで「門(もん)散歩」として、当社周辺の隠れた名所やお薦めスポット等をご紹介します。

Vol.7「塩竈神社」

今回は、新橋にある「塩竈公園」に隣接する由緒正しい「塩竈神社」をご紹介いたします。

新橋駅から少し離れたビルの建ち並ぶ一角に「塩竈公園」があり、その奥に神社があります。江戸時代、この地には仙台藩主・伊達家の中屋敷が置かれていました。
塩竈神社は古くから、東北鎮護の神社として、また陸奥国の一之宮(=地域で最も社格の高い神社)として奥州藤原氏などの支配者達から崇拝されていました。
特に伊達家は崇敬が厚く参勤交代により江戸に住むことになったため、この神社を勘請して精神的な支えとしてなお一層、崇敬していたということです。
写真1
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元々は4代藩主の伊達綱村が汐留の上屋敷(現在の汐留駅周辺)に勧請されたものでしたが、安政3年(1856年)
に中屋敷(現在地)に遷座されたそうです。
この地に移ってから毎月10日に限り、江戸庶民が屋敷内に入って参詣することを許されるようになりました。
ふだん大名屋敷に庶民は自由に出入りができませんでしたからその日は参詣者で大変な賑わいだったようです。
写真3
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塩竈公園

仙台藩中屋敷跡に1930年、東京初の「町立公園」(1972年には港区の区立公園になりました)として開園しました。
関東大震災後、町民が憩える場所が欲しいという地元の要望に応え、江戸時代からの鎮守である「塩竈神社」に隣接したこの地を伊達家が地元町会に寄付をして現在に至っています。
以前は大木が生い茂り緑深い杜で趣があり夏の蝉しぐれには圧倒されましたがしたが、残念ながら現在は樹木が伐採され、見る影もなくなってしまいました。
写真5

汐留の仙台

「塩竈神社」が最初に勧請(注)された仙台藩・上屋敷(=大名と家族の住居)は現在の汐留地区にあったことが、再開発をしたときの発掘調査で確認されました。
日本テレビ前広場の柱にその詳細はプレートになって掲示されています。
その広さは現在の浜離宮の内陸部の一角から電通本社ビル、汐留シティセンタービル、日本テレビタワー、汐留タワーの敷地を含む2万5000坪以上だったそうです。
屋敷の中心は電通本社ビル付近であったことやその南側には池を配した庭園があったこと、敷地の一部には川(汐留川)が流れていて舟入り場があった様子がプレートに記されています。
1641年、この地に仙台藩下屋敷が造られ、上屋敷は現在の日比谷公園あたりにありましたが、1676年に汐留の下屋敷が上屋敷になり200年にわたり江戸における仙台藩の拠点となりました。
上屋敷が廃止されたのは明治になって間もなくで、戊辰戦争で仙台藩が新政府軍に降伏したのち屋敷は没収されてしまいました。
その跡地は新政府によって日本初の鉄道の起点となった新橋駅(当時の:現在は汐留付近)になりました。
(注)勧請(かんじょう)…神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ること。
写真6
写真7

大名家の上屋敷・中屋敷・下屋敷

江戸幕府初期に大名達は将軍から拝領された土地に豪華な屋敷を競って建てました。
三代将軍家光の時に制度化された参勤交代により諸大名は1年おきに江戸へ在府しなくてはならなくなり、それに即した屋敷が必要になり、用途に合わせて再建築することとなったのです。
上屋敷とは・・・
敷地は幕府から拝領された土地で、登城に便利な江戸城に一番近い場所に配されていました。
現在の霞が関や桜田門付近に集中していたそうです。
大名やその家族の住居として庭園や娯楽施設なども備わっており、また、江戸在住の家臣の住む長屋も設けられ、藩の政務も行っていました。
写真8
中屋敷とは・・・
こちらも江戸城に近く外堀付近に配されていました。
嫡子や御隠居様が住む屋敷として、また、参勤交代で国元から殿さまに従ってきた人達の住居でもありました。
国元から従ってきた人達は「勤番」とよばれ1年程の任期で滞在しており、単身赴任でした。
下屋敷とは・・・
火事の多かった江戸の街。火災で被災したときの避難場所としての機能も備えていましたが、上屋敷の食糧を賄うための菜園や物資の保管場所、お殿様の別荘的な意味合いもあり比較的敷地は広く、江戸城に近い郊外に配されていました。
現在の四谷、本所、下谷などに多かったようです。
食糧を賄うための菜園は敷地が広かったので、農民と契約をして農作物を栽培していた屋敷もありました。

こぼれ話

時代劇でお馴染み、南町奉行・北町奉行を歴任した名奉行・遠山の金さん。
「遠山左衛門尉(とおやまさえもんのじょう)」こと「遠山金四郎影元(とおやまきんしろうかげもと)」の屋敷が「塩竈神社」の御近所あったと言われています。
金四郎が北町奉行になった当時(天保)、水野忠邦による「天保の改革」の最中で、極度な質素倹約の取り締まりを断行していた南町奉行と対立し、庶民の楽しみの一つであった芝居小屋などの取り締まりを緩めたりしたので、庶民は感謝し金四郎を主人公にした芝居「遠山の金さん」が上演されるようになりました。
これを面白く思わなかった南町奉行の策略により金四郎は罷免され、閑職の大目付に追いやられましたが、2年後、南町奉行が失脚したため金四郎が南町奉行に復権しました。
同じ人間が南北の奉行を歴任することは異例なことでした。
芝居では名奉行と謳われていましたが、名裁きの記録は残っていません。
しかし、当時の12代将軍・家慶に裁きぶりを称賛されていましたので、一度失脚しても返り咲いたのかもしれません。
金さんといえば背中の「桜吹雪(遠山桜)」の彫り物が有名ですが、実在の金四郎に彫り物があったのかは不明です。 現在はオフィスビルが建っていて当時の面影もさることながら記念碑や案内板もありません。
写真9

塩竈神社のアクセス

  • 都営三田線:御成門駅A4出口      徒歩約6分
  • JR線:新橋駅烏森口出口         徒歩約6分
  • 都営浅草線:東京メトロ銀座線・新橋駅A1出口  徒歩約6分
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