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第32回船乗りたちの道しるべ

部崎? 神子元? 来島?
陸上に住む一般の人々にはいまひとつ馴染みのない、読み方すらよく分からない地名ですが、日本の沿岸には海で生きている船乗りたちにとって大昔から自分の現在位置を確認したり、進むべき方向の目印にしたり、時には悪天候による遭難から命を守るために避難したりする大切な地点が数多くあります。
このシリーズではこのように船乗りたちにとって大切な道しるべとなる場所をご紹介していきます。

Vol.2 木古内(きこない)

今回は木古内をご紹介いたします。
木古内と書いて「きこない」と読みます。北海道函館市の西方約40キロに位置する津軽海峡に面した人口約4,700人の町です。
町の名前はアイヌ語の「リロナイ(潮の差し入る川)」から由来していると言われており、実際に町内を流れる木古内川では木古内湾の満潮時と干潮時の差が大きいため満潮時には潮が上流に向かって逆流することがあります。

木古内は江戸時代より北海道唯一の城下町である松前からニシン漁の盛んな江差と交易の盛んな箱館(現在の函館)との分岐点に位置する交通の要衝でした。その流れは現在に至るまで続いており、現在のJR木古内駅は海峡線の特急停車駅であり、平成26年5月に江差線の木古内‐江差間が廃止されるまでは江差に向かう際の乗換駅でした。さらに平成28年春に北海道新幹線が新函館北斗駅まで開業する際には北海道側最初の駅となる予定です。

国道228号(松前国道)を車で走っていると海側の公園に突如黒い帆船が現れます。これは幕末に勝海舟が初めて太平洋を横断して米国に渡った際に乗船したことで有名な咸臨丸のモニュメントです。
戊辰戦争に敗れて1871年9月(現在の暦では11月)に北海道開拓史として小樽を目指していた旧仙台藩士片倉小十郎一行約400名が当時、老朽化して第一線を退き運搬船として使用されていた咸臨丸で津軽海峡を航行中に悪天候のために遭難、木古内湾の東端のサラキ岬沖で沈没しました。
しかし木古内の村人たちが総出で救助に奮闘したおかげで乗船者は幼い子供から82歳の老人まで誰一人として命を落とすことなく助けられたという逸話が残っています。

当社では京浜から新潟向けの貨物を津軽海峡経由で定期的に輸送しています。
今も昔も冬の津軽海峡は気象がたいへん厳しく、当社の運航基準を上回る風速 や波高となることが頻繁にあります。
そのような場合には運航を中断して天候の回復を待たなくてはなりませんが、函館港は当社の貨物である液体ケミカル製品のような危険物を積載したままでは港内に入港できないという制約があり、また、たとえ港外であっても函館は北海道屈指の港であることから数多くの船が寄港するために錨地の確保が難しい場合が多く、当社の運航するケミカルタンカーは隣の木古内湾に避難して天候の回復を待つことがよくあります。

木古内湾は緩やかな美しい弓状の海岸線を持つ湾で、それほど深く入り組んだ湾ではありませんが、かつての木古内の村人たちと同じように厳しい暴風雪から津軽海峡を航行する船を守ってくれる貴重な避難ポイントです。

写真2

緩やかな弧を描く美しい木古内の海岸線

写真3

咸臨丸モニュメント

画像提供 北海道木古内町役場

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