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第37回船乗りたちの道しるべ

部崎? 神子元? 来島?
陸上に住む一般の人々にはいまひとつ馴染みのない、読み方すらよく分からない地名ですが、日本の沿岸には海で生きている船乗りたちにとって大昔から自分の現在位置を確認したり、進むべき方向の目印にしたり、時には悪天候による遭難から命を守るために避難したりする大切な地点が数多くあります。
このシリーズではこのように船乗りたちにとって大切な道しるべとなる場所をご紹介していきます。

Vol.7 伊良湖岬(いらごみさき)

今回は伊良湖岬をご紹介いたします。
伊良湖と書いて「いらご」と読みます。
愛知県から突き出した2つの大きな半島、知多半島と渥美半島のうち、東側にある渥美半島の先端の岬の名前であり、行政的には愛知県田原市に属しています。
愛知県の人でさえも地元以外の人は「いらこ」と読む人が多いらしく、また海のプロである船乗りたちも「いらこ」と読んでしまう人が多いようですが、正式には「いらご」と濁った読み方をします。

伊良湖岬と対岸の三重県の鳥羽市との距離は約20キロメートルしかありません。更に、その間には三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台となった神島、その西側に位置する答志島など大小さまざまな島が点在しており、伊良湖岬と神島の間の僅か5キロメートルの水道(伊良湖水道)が大都市名古屋や工業都市四日市をはじめとする中京地区の主要港が面する伊勢湾や三河湾への入り口となっています。
必然的に伊良湖水道航路は中京地区と各地を結ぶ船舶がひっきりなしに往来する海上交通の要衝となり、そのため航路管制の伊勢湾海上交通センターもこの岬に設置されています。

伊良湖には湖はありません。それなのに湖という字が用いられているのは何か不思議な感じがしますが、この「いらご」という地名は遥か万葉集の昔からあったようです。その時々により「伊良虞」、「五十等兒」、「伊良子」、「伊良児」などと様々な表記をされていました。それがいつしか「伊良湖」という表記になり、そのまま現代まで定着したものと考えられています。

万葉の昔からの記録が残っている地名ですが、この伊良湖には一つの悲しい伝説も残されています。
伊良湖岬から東方にある日出の石門(ひいのせきもん)までの約1キロにわたって美しい海岸が伸びています。いにしえの昔、都から身分の高い男女が道ならぬ恋のために都を捨てて、この地まで逃れて来ました。二人は人目をはばかるように女が表浜、男が裏浜に離れて住んでいましたが、やがて二人とも病にかかり、ほぼ時を同じくして亡くなってしまいました。愛するお互いの名前を呼びながら・・・。
そして、二人は死後、貝に姿を変えてこの浜に生き続けるようになったのです。
以来、人々はこの浜を恋路が浜と呼ぶようになったと言われ、悲しくも美しい白砂の海岸は今日では日本の渚100選に選ばれています。

そのような美しい渚に惹かれてという訳ではないのですが、当社のケミカルタンカーはよく「いらこに避難」します。
京浜と関西、瀬戸内を往来する殆どの内航船は伊豆半島⇔御前崎⇔大王崎⇔潮岬というルートを通りますが、台風などの悪天候の場合でも危険物搭載船は避難のため入港できる港が殆どないため伊勢湾や三河湾などの内海に避難するしかないのです。
そのため船長は悪天候の場合はとにかく伊良湖岬を目指します。
「伊良湖岬の内側に入りさえすれば安全だ。それまで頑張ってくれ!」という思いで乗組員と船を励まして、荒れる海と戦いながら操船を続けます。
そして、やっと伊良湖に辿り着く目途がたつと「悪天候の為、本船は○○時いらこに避難します。」という避難連絡が東京の配船担当者に入って来ます。

伊良湖というのはあくまでも岬の名前であり実際にはタンカーは伊良湖岬の内側の伊勢湾や三河湾に避難しているのですが、なぜか船乗りたちはいつも「いらこに避難」と言い、当社配船担当者も「いらこに避難、了解しました。」と答えています。
正式には正しくない読み方であり、避難場所も厳密に言うと若干違っているのですが、「いらこに避難」は私たちと船乗りたちの間では一つの合言葉のように使われているのです。

写真1

伊良湖岬灯台

写真2

恋路が浜

写真3

日出の石門

画像提供 渥美半島観光ビューロー

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