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第38回船乗りたちの道しるべ

部崎? 神子元? 来島?
陸上に住む一般の人々にはいまひとつ馴染みのない、読み方すらよく分からない地名ですが、日本の沿岸には海で生きている船乗りたちにとって大昔から自分の現在位置を確認したり、進むべき方向の目印にしたり、時には悪天候による遭難から命を守るために避難したりする大切な地点が数多くあります。
このシリーズではこのように船乗りたちにとって大切な道しるべとなる場所をご紹介していきます。

Vol.8 日生(ひなせ)

今回は日生をご紹介いたします。
日生と書いて「ひなせ」と読みます。瀬戸内海に面した岡山県と兵庫県の県境の人口約8,000人の町で東側は兵庫県赤穂市と接しています。
2005年2月までは岡山県和気郡日生町でしたが、同年3月の市町村合併で隣接する備前市および吉永町と合併して備前市日生町となりました。
主産業は漁業で、新鮮な魚を求めて多くの人々が訪れています。
また昭和30年代からは牡蠣の養殖も盛んになり、地元産の牡蠣をたっぷり使ったお好み焼き「かきおこ」は日生の郷土料理として近年注目を浴びています。

「日生」とは大変読みづらい地名ですが、元々ここは星村という村でした。
しかし、かつてこの星村で大きな火事が連続して発生し、縁起が悪いので村の名称を変えようということになりました。そこで星という字を「日(ひ)」と「生す(なす)」に分解して「日生(ひなし)」という名称にしたのですが、それが訛って、いつの日か「ひなせ」と読むようになったと言われています。そのため、ご高齢の方の中には今でも「ひなし」と呼ぶ方がいらっしゃるようです。

日生には岡山県と小豆島を結ぶフェリーが発着しており約60分間の船旅で小豆島と結ばれています。
また、日生沖に点在する大多府島(おおたぶじま)、鹿久居島(かくいじま)、頭島(かしらじま)などをはじめとする大小さまざまな島々からなる日生諸島への玄関口でもあります。
風光明媚な島々の風景はまさに昔の歌謡曲「瀬戸の花嫁」の世界そのものですが、地元では花嫁にまつわるひとつの風説があります。
曰く、頭島から大多府島へ嫁ぐ花嫁は幸せになるが、逆に大多府島から頭島に嫁ぐ花嫁は幸せになれない、と。
根拠も無い単なる迷信の域を出ない話でしょうが、人口の多い頭島から人口の少ない大多府島への嫁入りは歓迎されるものの、人口の少ない大多府島から人口の多い頭島への嫁入りは人口減少になるので好ましくなく、それを抑制するためにこのような噂が流れたのかもしれません。現実には大多府島から頭島へ嫁いで幸せに暮らしておられる女性も大勢いらっしゃることでしょう。

これら日生諸島はかつて風待ちの港として参勤交代の帆船が立ち寄るなど海運に深い関わりがありました。中でも大多府島には江戸時代に港や役所が置かれ、帆船寄港時には大きな賑わいを見せていました。
薩摩藩(現在の鹿児島)の殿様が風待ちのために立ち寄った際に、この大多府島を大変気に入って、この島を是非にと欲しがったという逸話も残されています。

しかし、現在では日生付近に化学工場や造船所があるわけではなく、当社が主として通行している小豆島の南側を通る航路からも外れているため、当社のケミカルタンカーが日生に入港する事は殆どありません。

とはいうものの、実は当社と日生は深い関係があるのです。
当社のオペレーションするケミカルタンカーは自社所有の船とオーナー(船主)からお借りして運航する船の2種類があります。
船にはそれぞれ船籍港が定められており、当社の自社所有船のケミカルタンカーの船籍港は当社の所在地である東京となります。
一方、日本のケミカルタンカーのオーナーの会社の実に3分の1は日生にあるのです。
その数は日本で一番多く、そのため船籍港が日生または備前となっているケミカルタンカーが数多く存在しています(現在は市町村合併に伴い順次、日生から備前へと表示変更されている)。
船籍港は船の艫側(後部)に船名と共に明記されているので、その船の所有会社がどこに存在しているのかがすぐに分かるようになっています。

日生を遠く離れ、いろいろな化学工場や石油コンビナートを結んで日本中を走り回っているケミカルタンカーですが、日生は全国で活躍しているケミカルタンカーのいわば本籍地のような町なのです。

写真1

日生の市街地

写真2

牡蠣いかだの浮かぶ海

写真3

大多府島に残る元禄防波堤

写真4

空から見た日生諸島

画像提供 岡山県観光連盟

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