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第56回船乗りたちの道しるべ

部崎? 神子元? 来島?
陸上に住む一般の人々にはいまひとつ馴染みのない、読み方すらよく分からない地名ですが、日本の沿岸には海で生きている船乗りたちにとって大昔から自分の現在位置を確認したり、進むべき方向の目印にしたり、時には悪天候による遭難から命を守るために避難したりする大切な地点が数多くあります。
このシリーズではこのように船乗りたちにとって大切な道しるべとなる場所をご紹介していきます。

Vol.14 観音崎(かんのんざき)

今回は観音崎(かんのんざき)をご紹介いたします。
観音崎は三浦半島の東端の岬で、行政的には神奈川県横須賀市に属します。
対岸にある房総半島の富津岬までは直線距離で約7キロしかなく、まさに東京湾の入り口に位置する岬と言えるでしょう。

観音崎という名前は、奈良時代(741年)に僧の行基がこの岬にある海蝕洞に棲みついた大蛇を退治して船の守り神として十一面観音(船守観音)を祀ったと言われることからこの名称になったと言われています。

江戸時代には本殿、般若堂などが立ち並ぶ観音寺として、付近の村人、漁民、船乗りたちの厚い信仰を集めていましたが、明治13年(1880年)、陸軍の砲台設置に伴って移転したため、現在は海蝕洞に小さな祠があるだけになっています。

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※観音寺跡に建つ案内板

観音崎は一日当たり約550隻(内外国籍の大型船50隻)もの船舶が行き交う海上交通の要衝です。

東京湾口の東側、すなわち千葉県側は富津沖まで浅瀬が広がっていて水深が浅く危険なため、観音崎の眼前の水深の深い浦賀水道に多くの船が集中しています。

近代以前は観音崎に和式灯台の燈明堂が設置されていましたが、明治元年11月1日に日本で最初の洋式灯台である観音埼灯台(灯台の正式名称は観音崎ではなく観音埼)が着工され、翌年の2月11日に初点灯されました。

それ以来、現在の観音埼灯台は3代目となりますが、絶えず浦賀水道を照らして航海の安全を守り続けているのです。

なお観音埼灯台が着工された11月1日は灯台の日として指定されています。

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※観音埼灯台 対岸は房総半島

更に、横浜沖での大型タンカーの衝突炎上事故を機に東京湾の航行の安全を守るため、昭和52年に観音埼灯台から北に300メートルほど離れた場所に東京湾海上交通センター(東京MARTIS)が設置されました。

MARTISとはMARINE TRAFFIC INFORMATION SERVICEの略で、船舶の安全航行に関する情報提供、指示、勧告を行う海上保安庁の組織です。

現在では特に海上交通が多い東京湾、伊勢湾、名古屋港、大阪湾、備讃瀬戸、来島海峡、関門海峡の7か所に設置されていますが、その中でも東京湾海上交通センターは一番初めに設置されました。

ここでは約50名の海上保安官が勤務しており、そのうち運用管制課では4交代制で24時間365日、海上交通の安全をレーダー、監視カメラ、AIS(AUTOMATIC IDENTIFICATION SYSYTEM)などの機器を駆使して監視しています。

また、安全の監視だけではなく大型船船舶の入出港時には各船舶が接近しすぎないように入港時間の調整や航行の管制をしたり、情報課ではプレジャーボートなどの小型船舶も含む全ての船舶対象にラジオやインターネット、携帯電話等で安全や気象に関する情報を提供しています。また整備課ではそれらの機器の保守管理など縁の下の力持ち的業務を担うなど、全員で海上交通安全に関する様々な業務を担っています。

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※24時間体制で航行の安全を見守る東京湾海上交通センター

奈良時代に船の安全を願って行基が祀った十一面観音、明治時代から浦賀水道を照らし続けてきた観音埼灯台、近年になってからは最新の機器で安全の監視を行っている東京湾海上交通センターと、時代ごとに東京湾の安全を見守り続けてきた観音崎は、いつも時代も「船乗りたちの道しるべ」であり続けてきたのです。

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