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第57回船乗りたちの道しるべ

部崎? 神子元? 来島?
陸上に住む一般の人々にはいまひとつ馴染みのない、読み方すらよく分からない地名ですが、日本の沿岸には海で生きている船乗りたちにとって大昔から自分の現在位置を確認したり、進むべき方向の目印にしたり、時には悪天候による遭難から命を守るために避難したりする大切な地点が数多くあります。
このシリーズではこのように船乗りたちにとって大切な道しるべとなる場所をご紹介していきます。

Vol.15 六連島(むつれじま)

今回は六連島をご紹介いたします。
六つの連なる島と書いて「むつれじま」と読みます。
福岡県北九州市の北側、山口県下関市の西側の日本海を響灘と言い、そこに点在する島々を響灘諸島と言いますが、六連島は響灘諸島の最南端、下関市彦島の西北約5キロの海上に浮かぶ面積0.69平方キロメートル、人口約100人の小さな島です。
六連島の僅か300メートル南西には馬島(うましま)という、これも人口約40人の小さな島がありますが、すぐ隣同士に隣接するこの二つの小島の間の海峡に福岡県と山口県の県境があり、ここがすなわち九州と本州の海上における境界にもなっています。

六連島の南西には縄文時代から平安時代にかけての遺物が発見された音次郎遺跡があり、また日本書紀にも「没利島(もつりじま)」としての記述が残されているなど、小さな島にも拘らず非常に古くからの歴史が残っている島です。
島の名前の由来は日本書紀の「没利島」の他にも、「周囲に小島が六つ連なって見えたから。」「最初の6人の入植者が島を6等分したから。」「地理的にも近い韓国のモッアール(集落)が語源だから。」など諸説ありますが、どれが正しいのかはいまだに謎のままです。

六連島の主な産業はハウス栽培の花きやキャベツなどの農業と漁業です。またアルコール漬けの「うにの瓶詰」は明治初期に島内にある西教寺の蓬山和尚が誤って生うにの小鉢にお酒をこぼしてしまったところ、これが非常に美味しかったことから生産が始まったと言われており、それ以来、島の特産品として現在でも非常に人気があります。
またこの島は約120万年前の噴火によってできた玄武岩の島ですが、国内では唯一、世界でも僅か3か所でしか見ることのできない雲母玄武岩(うんもげんぶがん)があり、国の天然記念物に指定されています。

雲母玄武岩

雲母玄武岩
画像提供 山口県中山間地域づくり推進課

このようにタンカーとは一見、何の関係もなさそうな長閑な六連島なのですが、当社のケミカルタンカーは六連島にも時折寄港しています。

この島は本州と九州の間にある関門海峡を挟んで瀬戸内海と日本海を結ぶ関門航路の西側の出口のすぐ脇に位置しており、そのため付近を大型外航船から小型の船舶までが絶え間なく往来しています。
歴史的にも日米和親条約に基づく兵庫開港に備えて1867年に結ばれた大坂条約により設置された日本最古の洋式灯台の一つが六連島灯台であり、明治天皇が行幸されるほど当時からこの島は海上交通の要衝でした。
そして、現在では日本海側各都市や韓国への海路でのアクセスが良い立地的条件からこの島には176,000KLの容量を誇る19基の重油、灯軽油タンクを擁する大規模なタンクターミナルがあるのです。

当社は専用のケミカルタンカーでエチレン由来の分解重油を各地から六連島のタンクターミナルへ、また六連島から各地に輸送させていただくことがあります。
染料やタイヤの原料となるカーボンブラックや燃料として利用される真っ黒な分解重油が、この小さな美しい島に大量に貯蔵されている事は一般にはあまり知られていません。
だからこそ、美しい島を守るためにタンクターミナルでは僅かでも環境に影響の無いように十分な安全管理をして保管しているのです。
同様に私たち船会社も一滴でも海上に漏洩することの無いように荷役、および輸送を遂行しています。

日本書紀にも記述のある六連島は、海上交通の要衝である立地を生かしたタンクターミナルの島でもあるのです。

六連島全景

六連島全景
画像提供 下関市上下水道局

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