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第58回船乗りたちの道しるべ

部崎? 神子元? 来島?
陸上に住む一般の人々にはいまひとつ馴染みのない、読み方すらよく分からない地名ですが、日本の沿岸には海で生きている船乗りたちにとって大昔から自分の現在位置を確認したり、進むべき方向の目印にしたり、時には悪天候による遭難から命を守るために避難したりする大切な地点が数多くあります。
このシリーズではこのように船乗りたちにとって大切な道しるべとなる場所をご紹介していきます。

Vol.16 大王崎(だいおうざき)

今回は大王崎(だいおうざき)をご紹介いたします。
大王崎は平成28年5月に伊勢志摩サミットが開催されて世界的にも有名になった伊勢志摩国立公園から太平洋に突き出した岬で、行政上は三重県志摩市大王町波切(なきり)という地名になります。
そのため大王崎は古くは波切岬(なきりみさき)とも言われていました。 この岬は紀伊半島南岸の潮岬からここまで続く熊野灘とここから伊豆半島まで広がっている遠州灘を区切る岬であることから、海を区切る、波を切るという意味で波切岬と呼ばれていたのかもしれません。

では、なぜ波切岬の他に大王崎という名前が付いたのでしょうか?

この付近には次のような言い伝えがあります。
昔、この岬の沖にある大王島という島に「だんだら法師(ぼっち)」という身長が約10メートル以上もある恐ろしい一つ目の大男が住み着き、時折この岬までやってきては、大風、大波を起こしては、村の美しい娘をさらっていくという悪行を重ねていました。
ある日、いつものように「だんだら法師」が悪さをしに岬にやって来ると一人の娘が大きな筵を編んでいました。 「だんだら法師」が「お前は何を編んでいるのじゃ?」と尋ねたところ、娘はこう答えました。
「千人力の村主様が履くわらじを編んでおります。」
しばらくすると今度は漁師たちが巨大な魚籠を作っているところに出くわしました。「だんだら法師」が「それは何じゃ?」と尋ねると漁師たちは答えました。
「これは千人力の村主様が使う弁当箱です。」
更に漁師たちは大きな大きな漁網を指さして言いました。
「そして、これが千人力の村主様がお使いになるふんどしでさぁ。」と。
わらじに続いて弁当箱やふんどしの巨大さを目の当たりにした「だんだら法師」は自分よりもはるかに大きな千人力の村主がこの村にいるのかと恐れをなして、二度とこの岬には現れなくなりました。

それ以来、この岬は大王崎という名前で呼ばれるようになったと言われています。真偽のほどは分かりませんが、暗礁や岩礁が多い上に熊野灘と遠州灘の荒波が激しくぶつかり合う航海の難所のため、「伊勢の神崎、国崎の鐙、波切大王なけりゃよい。」と古来より船乗りたちに恐れられていたこの岬にはぴったりのおどろおどろしい名前ではないでしょうか。
なお、地元では今でも一年に一度、「だんだら法師」を寄せ付けなくした千人力の村主様が履く巨大なわらじを海に流して豊漁を祈る「わらじ祭り」が行われています。

大王崎(だいおうざき)わらじ祭り

わらじ祭り
画像提供 志摩市観光協会

我々のケミカルタンカーをはじめ、京浜地区と阪神地区や瀬戸内地区を往来する内航船舶は必ずこの岬の沖を航行します。
現在の内航船舶は陸地より20海里までは沖を航行することが許されていますので、昔の船のように大王崎付近の暗礁や岩礁に乗り上げて難波するようなことはまずありません。

しかし、当社のタンカーは、たとえ大王崎の近くまでは接近していなくても動静連絡(位置通報)をする際には必ず大王崎を一つの目安にしています。
「本船は○○時○○分大王通過!目的地到着は○○日の○○時予定です。」という動静連絡が、今日も船から届いています。

大王崎(だいおうざき)

大王崎
画像提供 伊勢志摩観光コンベンション機構

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