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第61回船乗りたちの道しるべ

部崎? 神子元? 来島?
陸上に住む一般の人々にはいまひとつ馴染みのない、読み方すらよく分からない地名ですが、日本の沿岸には海で生きている船乗りたちにとって大昔から自分の現在位置を確認したり、進むべき方向の目印にしたり、時には悪天候による遭難から命を守るために避難したりする大切な地点が数多くあります。
このシリーズではこのように船乗りたちにとって大切な道しるべとなる場所をご紹介していきます。

Vol.19 七尾(ななお)

今回は七尾(ななお)をご紹介いたします。
その名の由来は1420年代に戦国武将の畠山満慶が城を築城した山に七つの尾根(菊尾、亀尾、松尾、虎尾、竹尾、梅尾、龍尾)があったため、この城が七尾城と名付けられ、それがいつしか地名となったと言われています。
能登半島の中央付近には大きく窪んだ七尾湾が広がっており、その湾に面した七尾市は人口約5万5千人の港町で、能登地方の中核都市でもあります。

七尾市の主要産業の一つに豊富な日本海の幸を利用した水産加工業があります。今では日本中のスーパーやコンビニで当たり前のように買うことができる「カニ風味かまぼこ」は実はこの七尾市が発祥の地なのです。

また観光業も七尾市の重要な産業です。全国的にも有名で常に人気温泉ランキングの上位に位置付けられている和倉温泉はこの七尾市にあり、能登観光の拠点として毎年約100万人もの旅行客が訪れています。

七尾は畠山氏が上杉謙信に滅ぼされた後に、織田信長の家臣であった前田利家がこの地を治めることになり、加賀藩の一部となりました。
その加賀藩の2代目藩主、前田利長が腫物の治療のために「湧浦(わくうら)の湯」を取り寄せて治療したことから一躍有名になり、三代藩主、前田利常が温泉地としてこの地を整備させて以来、湯治客が押し寄せるようになりました。
「湧浦の湯」はいつの頃からか「和倉(わくら)の湯」となり和倉温泉として現在に至っているのです。

和倉温泉遠景 画像提供 七尾市観光協会

和倉温泉遠景
画像提供 七尾市観光協会

七尾は前述の前田氏や畠山氏が治める遥か以前の万葉の時代から「香島津(かしまのづ)」と呼ばれる天然の良港で、室町時代には大陸に近い地の利を生かして、朝鮮との交易も行われていました。
時が流れ、江戸時代には、上方と蝦夷地を往来する北前船が寄港するようになり、七尾の港付近には各地の珍しい特産品を商う数多くの廻船問屋が立ち並ぶほどの隆盛を極めていました。
北前船の衰退に伴い往時の賑わいは無くなりましたが、重要な港としての役割は変わらず、七尾港は現在でも港湾法上の重要港湾に位置付けられ、石川県内では最大の貨物取扱量を誇っています。
またエネルギーの安定供給のために日本で5か所しかない大規模な国家石油ガス備蓄基地が2005年に設置されています。

七尾国家石油ガス備蓄基地 出典 独立行政法人 石油天然ガス・金属鉱物資源機構 HP

七尾国家石油ガス備蓄基地
出典 独立行政法人 石油天然ガス・金属鉱物資源機構 HP

そして、当社のケミカルタンカーも七尾港には頻繁に立ち寄っています。
しかし石油ガスの備蓄基地があるとはいえ、七尾湾には当社が輸送する液化ケミカル製品の化学工場や、ケミカルタンクターミナルはありません。
では、なぜか当社のケミカルタンカーが立ち寄るかというと、実は日本海の荒波から逃れて天候の回復を待つために入港しているのです。

当社は広島県の大竹から富山への輸送を定期的に行っています。
日本海側の気候は太平洋側と違って非常に厳しく、特に冬の間は殆ど毎日のように悪天候に見舞われています。
北前船は春に上方を出港して夏に蝦夷地に到着後、秋にふたたび上方に戻るという、海が比較的穏やかな時期に運航をしていました。
現在では化学工場が年中無休で操業しており、一年中原料の納入や製品の出荷を必要としています。
そのため当社のケミカルタンカーは北前船と違って夏も冬も関係なく日本海の航海をしなくてはなりません。

しかし、いくら造船技術が進歩して安全に関する装備が発達しても、冬の日本海ではひとたび海が荒れると全長約64メートル、499グロストン程度の当社のケミカルタンカーなど、まるで木の葉のように弄ばれてしまいます。
特に富山で荷揚げ後、空船状態になって瀬戸内に戻る際には、船体が軽くなって船の重心が高くなった分、航行安定性が悪くなります。船底のバラストタンクに海水を注入して安定性の回復を試みますが、それでも荒天の際には能登半島沖を通過できないような事態が多々発生します。

空船時 喫水線から下の部分が見えている 満船時 喫水線から上しか見えない 

そのような時には当社のケミカルタンカーは七尾湾に避難して天候が回復するまで待つことを余儀なくされます。
しかし、冬の日本海の気候は一日や二日ではなかなか回復してくれません。ひどい時には一週間にもわたって待機をしなければならないこともあるのです。
長期にわたる避難では、船内の食料や水が尽きてしまうので七尾の公共桟橋に着桟して、それらの補給もすることになります。

人生の大半を海上で過ごして来た百戦錬磨の船乗りでさえ嫌がるほど、冬には激しく荒れ狂う日本海に向かって長く突き出した能登半島は国内有数の航行の難所です。 しかし、それと同時に能登半島は七尾湾という日本海側では数少ない、安全でしかも補給も可能な避難場所を船乗りたちに用意してくれていたのです。

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