創業期
1956(昭和31年)~1966年(昭和41年)
外航船燃料(バンカー)輸送業者としての出発
明和海運株式会社の設立
東京湾内において、米国籍船を主とした外航船向け燃料重油の需要が増加しつつあり、木造機帆船に鋼製タンクを設置した改造小型船が稼働している状況から、石油類の輸送需要が増えることを見込み、蓮尾明は、船串松太郎と協議の上事業の立ち上げを計った。
設立発起人、船串松太郎(40才)、蓮尾明(36才)、吉野政治(43才)、船串チヨ(36才)、水越嘉吉(62才)、松尾平治(44才)、杉田醇一郎(54 才)の7名。
1956(昭和31)年11月16日資本金百万円にて株式会社として発足。
取締役は、代表取締役社長 船串松太郎、常務取締役 蓮尾明、取締役 吉野政治、船串チヨ、松尾平治の5名。監査役に水越嘉吉、杉田醇一郎の2名が就任。
社長の船串松太郎は、米穀・燃料販売業、その他事業を経営しており、また船串チヨ、吉野政治、松尾平治は非常勤のため、明和海運の実質的な事業運営は、海運業の実務経験がある常務取締役蓮尾明が、営業活動以下管理業務を含め全般にわたり担当した。
蓮尾 明(はすお あきら) | |
1919年12月 | 2日、福岡県大牟田市にて出生 |
1944年9月 | 九州帝国大学法学部経済学科卒業、三井船舶に入社し4年余営業等を担当 |
1949年1月 | 三井船舶の紹介にて、互洋貿易に 移籍、1953 年5月商船運輸に移籍した |
2016年4月 | 逝去(享年96 歳) |
1963(昭和38)年9月 最前列右から6番目が蓮尾明
東京湾内重油輸送
1956(昭和31)年 | |
10月 | 横浜市鶴見区生麦町746 番地にて、平水(東京湾内)の石油類輸送を目的として、受託船2隻、船腹250KL積をもって業務開始。主にゼネラル物産扱のスタンダード゙バキュウムオイル鶴見油槽所から出荷される外航船燃料油(バンカー)輸送に従事した。 |
1957(昭和 32)年 | |
2 月 | 商工組合中央金庫の斡旋で2隻350KL 積受託。運航船は4隻600KL 積となった。 |
9 月 | 三井船舶の所属外航船への東京湾内における燃料油輸送を、商社指定で全面的に元請けすることになり、船腹を6隻820KL 積に増強。 |
1958(昭和 33)年 | |
3 月 | 会社所在地を横浜市鶴見区生麦町47 番地に移転。 |
1959( 昭和 34)年 | |
4 月 | 社船第1次船として、第一明和丸(320 ㎥)竣工。 |
4 月 | 22 日に蓮尾明が代表取締役専務に就任、社長船串松太郎との共同代表制とした。 |
8 月 | 資本金を400 万円に増資。 |
11月 | 社船第2次船第二明和丸(260㎥)竣工、輸送量は月間18,000KL に増加した。 |
1960(昭和 35)年 | |
10月 | ゼネラル物産から転送、東電各発電所、国鉄用品庫、自衛隊等への燃料油輸送も請けることになり、年末の月間輸送量は、30,000KL を越えた。 |
1961(昭和 36)年 | |
4 月 | 資本金を800 万円に増資。 |
5 月 | 社船第3次船 第六明和丸(380 ㎥)竣工。 |
5 月 | 飯田今太郎(元三井船舶大阪支店長、富士汽船㈹常務)が取締役に就任。 |
1963(昭和38)年3月
会社(生麦町)前にて尼崎督博
1963(昭和38)年3月
社用バイクで輸送所へ船舶用燃料(バンカー)積みの立ち合いに向かう尼崎督博
東京事務所の開設
1961(昭和 36)年 | |
8 月 | 営業部門を拡充、東京事務所を千代田区内神田に開設。 |
11月 | 資本金を1600 万円に増資。 |
12月 | 第二明和丸売船。998GT、1,600KL 積タンカー明興丸(近海資格)を瀬戸田造船にて竣工し三井船舶に運航を委託した。 |
1963(昭和 38)年 | |
7 月 | 第六明和丸を500㎥積に拡張。平水船大型化のはしりと業界紙に掲載された。 |
1964(昭和 39)年 | |
7 月 | 内航海運業法、内航海運組合法(内航二法)公布。 (1964.8.10 施行) |
1965(昭和 40)年 | |
8 月 | 2日明興丸が伊豆大島沖にて米国船アリゾナ号と衝突沈没、多大の損害を被ったが、幸い平水関係に支障なく各方面の支援もあり、年末の扱量は90,000KLに達した。 |
9 月 | 日本内航海運組合総連合会結成。 (1965.12.4 運輸大臣認可) |
1月 | ゼネラル物産から鶴島丸を買受け、潤滑油給油船として就航 |
1960(昭和 35)年 | |
10月 | ゼネラル物産から転送、東電各発電所、国鉄用品庫、自衛隊等への燃料油輸送も請けることになり、年末の月間輸送量は、30,000KL を越えた。 |
1966(昭和 41)年 | |
2 月 | 本店を横浜市鶴見区鶴見町1078 番地マルイチビルに移転。 |
3 月 | 社船第八明和丸(860㎥)が竣工。同月の月間輸送量は、100,000KL を超えた。 |
1964(昭和39)年
米国貨物船への燃料輸送(積み込み)
1964(昭和39)年
米国貨物船への燃料輸送(積み込み)
拡大期
1967(昭和42年)~1984年(昭和59年)
外航船燃料(バンカー)輸送業者としての出発
蓮尾明の社長就任
1966(昭和41)年 | |
5 月 | 31日、代表取締役社長船串松太郎、取締役船串チヨ、監査役水越嘉吉退任。代表取締役社長に蓮尾明、取締役に山本三郎、須田悦夫、高木典一郎が就任、共同代表制を廃止。監査役に飯田今太郎が就任。 |
7 月 | 社船平水船第三十六明和丸(700 ㎥)竣工。 |
1967(昭和 42)年 | |
10月 | 明和サービス企業(明和海運関連会社)設立。 |
1968(昭和 43)年 | |
5 月 | 監査役飯田今太郎退任。加藤信夫が監査役に就任。 |
10月 | 榎本好文(元三井化学工業社長)が三井東圧化学副社長平山威氏の斡旋により取締役会長に就任。 |
10月 | 1日三井化学工業と東洋高圧工業が合併、三井東圧 化学発足。 |
ケミカル輸送開始
1969(昭和 44)年 | |
2 月 | 社船特殊構造潤滑油船エッソ東京丸竣工、エッソスタンダード石油給油作業に就航。 |
3 月 | 石油化学原料輸送用として社船平水船第三十八明和丸(1,200 ㎥)が竣工。 |
10月 | 1 日 内航海運業が登録制から許可制に移行。 |
10月 | ケミカル船第103 明和丸(旧第五山菱丸、320GT、650 ㎥)買船。 |
12月 | 社船ケミカル船第101 明和丸(427GT、865 ㎥)竣工、ケミカル運航船舶4 隻。 東京事務所を東京支店に改称。 |
1970(昭和 45)年 | |
3 月 | 平水船第一明和丸と鶴島丸を売船。 |
5 月 | 資本金を2,000 万円に増資。 |
8 月 | 興洋タンカー(明和海運子会社) 設立。 |
9 月 | 山田陽弘(元三井東圧化学化学品事業部ウレタン営業部長)常務取締役に就任。 |
12月 | 25 日 海洋汚染防止法公布。(1971.6.24 施行) |
1971(昭和 46)年 | |
5 月 | 第六明和丸売船。 |
1972(昭和 47)年 | |
2 月 | 平水船第八明和丸を売船、これを第十一宝栄丸として用船。 |
12月 | 第103 明和丸売船。 |
1973(昭和 48)年 | |
4 月 | 三井東圧化学メタノール専用船として白鷹丸(341GT、621㎥)を定期用船。 榎本好文が、健康上の理由により取締役会長を辞任。 |
5 月 | エッソスタンダード石油向潤滑油特殊専用船エッソ横浜丸(110 ㎥)定期用船。 |
6 月 | エッソ東京丸を売船、定期用船。 |
7 月 | 三井東圧化学クメン専用ケミカル船第五明和丸(497GT、1,318 ㎥)竣工、定期用船。 |
1967(昭和42)年~ 1971(昭和46)年 | |
ガソリンスタンド経営 -ゼネラル石油SS(鶴見区本町通り) |
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1968(昭和43 年)~ 1978(昭和53)年 | |
不動産事業 -茅ヶ崎で建売住宅 |
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1972(昭和47)年~ 1977(昭和52)年 | |
スーパー明友(川崎大師付近) -ダイエーから譲渡 |
東京都港区への移転
1975 (昭和50)年 | |
2 月 | 本店を横浜市鶴見区から東京都港区西新橋に移転、東京支店を本店に統合。 |
6 月 | 内航タンカー運賃協定発足。 |
12月 | 27日船舶の所有者等の責任の制限に関する法律公布(1976.9.1 施行)。 27日油濁損害賠償保障法公布( 1976.9.1 施行)。 |
後列左から3番目が蓮尾明
安全管理室設置と安全協力会設立
1978 (昭和53 )年 | |
2 月 | 船舶の安全及び災害防止の徹底を期すため、安全管理室を設置。 |
3 月 | 当社及び船主とで、船舶関係の事故防止、乗組員の安全対策の意識高揚を目的として、明和海運安全協力会を設立、発足させた。 |
前列左から1番目が蓮尾明
石油液化ガス輸送
1978 (昭和53)年 | |
11月 | 石油液化ガス輸送開始のため、高圧船(強6GT、771㎥)を用船。 |
1979 (昭和54)年 | |
11月 | 社船 IMO タイプE 型ケミカル船第人明和丸(493GT、723㎥)が平水船第三十六明和丸の代替として竣工。 |
1980 (昭和55)年 | |
2 月 | 昭和55)年 2 月 高圧船第二高砂丸を用船、更に7 月と10 月に各1 隻を用船しLPG運航臨漉を4 隻2,374GT、3,723㎥とした。 |
1981 (昭和56)年 | |
4 月 | 海上における人命の安全のための国際条約(74/81SOLAS 条約)批准。 |
10月 | 大嶋次雄(大阪石油化学業務部長)が三井東圧化学から出向し、1982 年2 月取締役就任。(1983 年4 月常務取締役)。常務取締役山田斌は、1982 年2 月末退任。 |
1982 (昭和57)年 | |
12月 | 三井石油化学工業TBA 専用船として、ケミカル船第七明和丸(696GT,1,800㎥)が竣工、定期用船。 |
出張所等の開設
1983 (昭和58)年 | |
8 月 | 3三井東圧化学大阪工業所内に大阪出張所を開設。 |
9 月 | 船令14 年になる第101 明和丸を、1,260㎥船に代替する計画で解徹した。 |
1984 (昭和59)年 | |
4 月 | 山口県岩国市今津町に岩国営業所を開設した。 |
成長期
1985(昭和60年)~2008年(平成20年)
ケミカル輸送部門の充実へ
ケミカル輸送部門の充実へ
1985(昭和 60)年 | |
10月 | 社船IMO タイプⅢ型ケミカル船 第六明和丸(498GT、1,264 ㎥)が竣工。 本年3 月・7 月に用船した新造船を含め、ケミカルの運航船腹は、10 隻を超えた。 |
12月 | 日第六明和丸が、水島にてベンゼンの積荷中No.1タンクが爆発炎上事故発生、多大な損失を被った。事故原因は海難審判において、静電気によると裁決。 |
1986(昭和 61)年 | |
8 月 | 常務取締役大嶋次雄が逝去。 |
11月 | 若杉頴寛(三井東圧化学健保組合常務理事)が常務取締役に就任。 |
1988(昭和 63)年 | |
2 月 | 資本金を2,500 万円に増資。 |
6 月 | 社船IMO タイプⅡ型ケミカル船第三十八明和丸(498GT、1,235 ㎥)竣工。 |
7 月 | 資本金を3,000 万円に増資。 |
11月 | IMOタイプⅢ型ケミカル船 第二東明丸(699GT、2,099 ㎥)が、クメン専用船として大型化し第五明和丸(9月用船解除)の代替として竣工、用船。 |
1989(平成元 )年 | |
7 月 | 福島邦雄(大阪商船三井船舶東京支店輸入部長)が取締役営業第一部部長就任(1990 年2 月常務取締役)。 |
1989(平成元)年 | |
12月 | 明裕海運(明和海運子会社) 設立。 |
1990(平成 2 )年 | |
2 月 | 木澤廉治(三井東圧化学関連事業部長)が常務取締役就任。常務取締役若杉頴寛は退任して、関係会社明裕海運の社長に就任。 |
3 月 | 資本金を6,000 万円に増資。 |
1991(平成 3)年 | |
3 月 | 7 日 内航ケミカルタンカー運賃協定発足。 |
8 月 | 社船IMO タイプⅡ型ケミカル船 明成丸(499GT、1,235㎥)が竣工。 |
1994(平成6)年 | |
2 月 | 常務取締役木澤廉治が退任。当社顧問、明裕海運社長を専任。 |
7 月 | 第七明和丸を返船、第十八徳栄丸(696GT、1,949㎥)をTBA 専用船として用船。 |
12月 | IMO タイプⅢ型ケミカル船 旭栄丸(345GT、650㎥)を買船。 |
1995(平成 7)年 | |
4 月 | 本社を西新橋から港区虎ノ門1 丁目25番5号 第34森ビルに移転。 |
12月 | 社船IMO タイプⅡ型ケミカル船 明芳丸(499GT、1,230 ㎥)が竣工。 |
1988(昭和63)年 第三十八明和丸
1995(平成7)年 明芳丸
1996(平成8)年 | |||||||||||||||||
2 月 | 社長蓮尾明が代表取締役会長、専務取締役川崎保が代表取締役社長に就任。 | ||||||||||||||||
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5 月 | 常務取締役福島邦雄が辞任。 | ||||||||||||||||
7 月 | IMO タイプⅢ型第二十五徳栄丸(748GT、2,115 ㎥)が東燃化学専用船として竣工、用船。 | ||||||||||||||||
9 月 | 常務取締役小島得也が逝去。 |
1998(平成 10)年 | |
5 月 | 「内航海運暫定措置事業」が導入され、1966 年からのS&B方式による船腹調整事業を解消、納・交付金による引当資格権利を段階的に消滅させることとなった。 |
10月 | LPG 船宝吉丸(749GT、1,435 ㎥)が竣工、定期用船。 |
11999(平成 11)年 | |
3 月 | 内航タンカー運賃協定・内航ケミカル運賃協定廃止。 |
4 月 | 東燃化学の内航海上輸送に関して幹事会社の指定を受けた。(2001 年9 月同社のBTX事業が東燃ゼネラル石油に移管され幹事会社制度解消まで継続)。 |
12月 | 代表取締役会長蓮尾明が代表取締役を辞任し、取締役会長に就任。 |
2000(平成 12)年 | |
11月 | 2 日 船舶安全管理認定書等交付規則に基づく任意ISMの適合認定書(DOC)を、関東運輸局東京運輸支局から、 番号第1号をもって交付を受けた。次いで社船の審査を順次受け、船舶安全管理認定書(SMC)を全船取得した。 |
10月 | LPG 船宝吉丸(749GT、1,435 ㎥)が竣工、定期用船。 |
1999(平成 11)年4月 前列左から2番目が川崎保
IMO タイプⅡ型ケミカル船の運航を推進
2001(平成13)年 | |
5 月 | 31 日 岡山県日生町信用農協が破綻。256 億円の債務超過。 日生地区は、内航ケミカル船の隻数で国内の3割強を占め、同農協からの融資を受けている船主も多く、整理回収機構(RCC)による船舶処分が行われた。 |
2002(平成14)年 | |
1 月 | 本社を港区三田3 丁目14 番10 号明治生命ビルに移転。 |
2 月 | 取締役会長蓮尾明が辞任し、非常勤顧問となる。 |
2003(平成15)年 | |
10月 | 社船IMO タイプⅡ型ケミカル船 明督丸(499GT、1,230 ㎥)が竣工。 |
11月 | 栄和丸の代替船IMO タイプⅡ型 新和丸(499GT、1,230 ㎥)が竣工、定期用船。 |
2004(平成 16)年 | |
9 月 | IMO タイプⅡ型 興和丸(498GT、1,230 ㎥)が竣工、定期用船。 |
2005(平成 17)年 | |
12月 | IMO タイプⅡ型 倉和丸(498GT、1,230 ㎥)が竣工、定期用船。 |
2006(平成 18)年 | |
4 月 | 社船第18 明和丸(船令20 年)を海外売船。 |
11月 | 創立50 周年記念祝賀会を開催。 |
2007(平成 19)年 | |
4 月 | 第 2 東明丸の代替船IMO タイプⅡ型 第3 東明丸(498GT、1,230 ㎥)が竣工、定期用船。 |
8 月 | 中田篤が常務取締役に就任。 |
2008(平成 20)年 | |
1 月 | IMO タイプⅡ型 松曜丸(498GT、1,230 ㎥)が竣工、定期用船。 |
2 月 | 中田篤が代表取締役専務に就任。 |
2003(平成15)年 明督丸 進水式① 川崎 保
2003(平成15)年 明督丸 進水式②
更なる発展へ向けて
2009年(平成21年)~
中田 篤の社長就任
2009(平成21)年 | |||||||||||||||||||
2 月 | 中田篤が代表取締役社長に就任。川﨑保は顧問に就任した。 | ||||||||||||||||||
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2009(平成 21)年 | |
7 月 | 森川幸二が常務取締役に就任。 |
8 月 | 岩国営業所を閉鎖。 |
12月 | IMO タイプⅡ型 法竜丸(498GT、1,230 ㎥)が竣工、定期用船。 |
2010(平成 22 年 | |
6 月 | LPG 船、第18 春日丸(749GT、1,260 ㎥)が竣工、定期用船。 |
10月 | 旧宝伸丸の代替船、IMO タイプⅡ型 宝伸丸(498GT、1,230 ㎥)が竣工、定期用船。 |
2013(平成25)年 明和丸 進水式①
2013(平成25)年 明和丸 進水式② 中田篤
2013(平成25)年 明和丸 進水式③
IMO タイプⅡ型ケミカル船の運航を推進
2011(平成23)年 | |
2 月 | 森川幸二常務取締役が退任。 |
11月 | IMO タイプⅡ型 範美丸(499GT、1,230 ㎥)が竣工、定期用船。 |
2012(平成24)年 | |
2 月 | 明裕海運が船員派遣事業免許を取得。 |
2013(平成25)年 | |
4 月 | 社船第38 明和丸(船令25 年)を海外売船。 |
6 月 | 社船第38 明和丸の代替船、IMO タイプⅡ型 明和丸(498GT、1,240 ㎡)が竣工。 |
2015(平成27)年 | |
2 月 | 恵美利勝が常務取締役に就任。 |
2016(平成28)年 | |
4 月 | 元代表取締役社長蓮尾明が逝去。 |
6 月 | 明裕海運と興洋タンカーが合併し、社名を明和タンカーに変更。 |
7 月 | 新卒船員の採用活動を開始。 |
11月 | 創立60 周年記念祝賀会を開催。 |
2017(平成29)年 | |
5 月 | 社船IMO タイプⅡケミカル型 明桜丸(597GT、1,350㎥)が竣工。 |
会社看板
船員採用募集ポスター