明和徒然日記
第10回 うといぺんこ
今から二十数年前、息子がまだ幼稚園に通っていた頃の出来事である。
家族で、とある神社にお参りに行った。
朱塗りの大きな鳥居をくぐって橋を渡り、参道を本殿に向かって歩いていると息子が突然、何かを見つけて「うといぺんこ!」と声を発した。
「うといぺんこ??」
何の事だか全く分からずあたりをキョロキョロ見回してみる。
参道の両側には綿菓子やりんご飴、五平餅などの屋台がたくさん並んでいる。
息子はその中の一つを指さしながら「うといぺんこ!」「うといぺんこ!」と嬉しそうに読んでいる。
指差す方向に目をやると確かに我々の左前方の参道沿いに横書きの大きな文字で「うといぺんこ」と記されている屋台があるではないか!
もうお分かりになったかも知れないが実はこの屋台、「こんぺいとう」を売っている屋台である。
屋台の両側に「こんぺいとう」と文字がペイントされているのだが、屋台の表側(つまり参道側)を先頭に文字が始まっているので屋台の左側面は左から右に「こんぺいとう」と文字が並ぶのだが右側面は右から左に文字が並ぶため「うといぺんこ」になってしまうのだ。
何とも不思議な書き方であるが、実はこの表記方法は船にも共通している。
船舶法では船首部分と船尾に船名を記載しなくてはならないと定められており、当社のタンカーにも全て船名の表示がある。
しかし「右から左に」「左から右に」などと、どちら向きに書かなくてはならないという決まりは無く慣習的に船首方向から船尾方向に向かって表記される事が多い。
そのため左舷側では普通に「〇〇丸」となるが右舷側は「丸〇〇」という表記になってしまう。
(英語表記は左舷側、右舷側とも左から〇〇〇〇MARU)
元々日本語は中国語の影響で上から下に書くものだったが西洋の文化に触れてから横書きも始まったという。
戦時中までは新聞の見出しでも日本語を右から左に書く場合もあったようだが、戦後に左から右に書くように統一されたという話を聞いたことがある。
しかし船名表記は令和の時代になっても昔からの慣習的な書き方が依然として残っているようだ。
今でも「丸〇〇」という船名を見ると嬉しそうに「うといぺんこ!」と、はしゃいでいた幼い頃の息子の姿を懐かしく思い出してしまう。
筆者 佐藤兼好
写真:右舷側から見た船名(明翔丸)