明和徒然日記

第9回 実は新潟も

「日本を代表する港町は?」と聞かれると横浜や神戸を思い浮かべる方が多いだろう。
また異国情緒溢れる函館や長崎もしかりである。
それらの港町に共通するのは坂が多いという事である。
函館の八幡坂から見下ろす港の風景に代表されるように港町には絵葉書になりそうな坂道がいくつもある。
山が海の近くまで迫り、陸地が海に雪崩れ込む地形となっているため、人々が傾斜地に住みついて坂道の多い町となり、雪崩れ込んだ地形はそのまま水深が深い海となる。
その結果、大型船も容易に入港することが出来る港に適した地形となる・・・と勝手に想像しているのだが正しいかどうかは分からない。

ところが山地から遠く離れた真っ平らな越後平野に位置する港町が新潟である。
新潟といえば一般的にはコシヒカリ、日本酒、雪国などのイメージが強く、あまり港町というイメージはないかも知れない。
しかし実は新潟は兵庫(神戸)、神奈川(横浜)、箱館(函館)、長崎と並ぶ江戸時代末期の開港五港の一つであり、日本と海外との貿易において重要な役割を果たしてきた港町なのである。
日本海側にも国際港が必要であるという欧米列強各国の強い要望に応えて当時の江戸幕府の天領(直轄地)であった新潟が選定されたというのがその理由らしい。

もちろん、それ以前から新潟湊には北前船が寄港しており、上方と蝦夷地の交易の中継地の一つとして栄えていた。
しかし新潟湊は信濃川の河口に位置する河口港であり、水深も他の四港ほどではないため大型船が入港するには不向きと思われ、新潟ではなく能登半島の七尾港の開港を要求する国もあったほどだ。
結局、様々な紆余曲折を経て新潟が海外に開かれたのは開港五港の中で一番最後の1869年であった。

現在では新潟湊は十分に浚渫されて新潟西港として佐渡や北海道への大型フェリーの定期航路を持ち、時には海外からの大型クルーズ船が入港することもある。
また1969年に阿賀野川を挟んだ東側に開港した新潟東港からは中国や韓国等への国際コンテナ定期航路がある重要な国際港になっている。
特に新潟東港にはタンクターミナルも設置されており、当社のケミカルタンカーも頻繁に新潟東港を利用させていただいている。

何だか以前執筆していた「船乗りたちのみちしるべ」のようになってしまったが、実は新潟で2年半ほど暮らした経験があり、その風土や人情にすっかり魅了されていたはずなのに、恥ずかしながら新潟を離れたずっと後になって新潟が開港五港の一つである事を知った私の心からの反省を込めてご紹介させていただく事にした。

筆者 佐藤兼好

越後平野と新潟西港(画像提供:公益財団法人 新潟観光コンベンション協会)

写真:越後平野と新潟西港(画像提供:公益財団法人 新潟観光コンベンション協会)