石油化学製品のイロハ

第5回 フェノール(真夏でも凍るんです)

石油化学製品は、もともとは石油や天然ガスから幾重もの生産工程を経て、自動車の部品や、衣服の生地、薬品やお惣菜のトレーなど私たちの生活に必要な最終製品へと姿を変えていきます。
このシリーズではそのような石油化学製品について、コテコテの文系頭の筆者が難しい化学式や計算式などは省いて、分かる範囲で少しだけご紹介していきます。

フェノールは第一回でご紹介した「石油化学製品のご先祖様」であるナフサを分解してできるプロピレンと第三回でご紹介した分解ガソリンから抽出される芳香族炭化水素の一つであるベンゼンを主原料として生成されるキュメンを酸化させることによって生産されます。

フェノールの特筆すべき点はフェノールから作られたフェノール樹脂(ベークライト)が世界で初めて全て人工的に合成されたプラスティックであるということです。
(注)当時、既にセルロイドは発明されていましたが植物のセルロースを原料とするため、純粋な合成プラスティックではなく半合成プラスティックという位置づけをされています。

1907年にベルギー出身のアメリカ人レオ・ヘンドリック・ベークランドという化学者がフェノールとホルマリンを合成して人工樹脂を製造する方法を発見しました。
その後1910年にこの樹脂の製造を目的としたベークライト社という会社を設立したことに因んでこの樹脂はベークライトと呼ばれるようになりました。
当時はボタンや装飾品をはじめとして、電気を通さない事や熱に強い特性を活かして各種の絶縁体、カメラのボディや電話機など様々な製品に使用されていました。
しかし一世を風靡したベークライトもその後の石油化学の発展に伴って様々な新しい樹脂が発明されるにつれて更に便利な各種の素材に取って替られたため活躍の場は減少していきました。

しかし、もちろん現在でも高機能樹脂として活用される場面は多々あります。
たとえばフェノールとアセトンを合成してできるビスフェノールAはポリカーボネートの原料となります。
ポリカーボネートはCDやDVDに加工されたり、強くて透明性が高いという特徴を生かして戦闘機のコックピットのキャノピー(風防)、旅客機の窓、オートバイのヘルメットなど様々な製品に使われています。
懐かしいものでは筆者が小学生の頃「象が踏んでも壊れない」というCMコピーで有名になった某メーカーの筆入れ(ペンケース)などもありました。
(注)平成生まれの方は分からないと思いますが…。

  • CDやDVDはフェノールが原料画像:CDやDVDはフェノールが原料のポリカーボネートから作られます

私たちの生活に身近な分野では、住宅のフローリングの床の木材加工用接着剤に使用されたり、フェノール樹脂が摩擦に強いという特性を活かして、自動車のブレーキパッドなどに使用されたりしています。
自動車が安全に止まることが出来るのは、実はフェノールのおかげだったのです。

また、フェノールは医薬品や農薬の原料としても使用されています。
最近はあまり感じなくなったのですが、昔の病院は玄関を一歩入ると消毒液の独特の匂いが漂っていました。
お医者さんの机の横には必ず金属製の白いボウルに入った消毒液が置かれていて、子供心にこの匂いは注射と同じくらいの恐怖を感じさせるものでした。フェノールはこの消毒液の原料であり、フェノールの臭気はまさにあの頃の病院と同じ匂いがします。

さて、このように様々な用途を持つフェノールですがケミカルタンカーでの輸送する際には他の石油化学製品とは違う、特に気を付けなくてはならない注意点が2つあります。

1点目は火傷に対する注意です。
フェノールは無色透明の水のような液体ですが万が一、皮膚に触れると火傷のような炎症を起こしてしまいます。そのため荷役の際には船員は分厚い保護着、ゴム手袋、顔をカバーする面体という重装備で作業を行います。
従って真夏の炎天下では汗だくになりながらの暑さと戦う重労働となります。
またフェノールは液体そのものでなく、気化した状態であっても皮膚に触れるとチリチリとした痛みを覚えます。そのため荷役中の甲板上では船員は風上側に立って作業をするなど気を付けなくてはなりません。

2点目は温度管理です。
フェノールは凝固点が摂氏40.9度と非常に高いため、常にそれ以上の温度を保ちながら輸送しなくてなりません。
つまり摂氏40.9度を下回るとタンクの中であろうと配管の中であろうと凍ってしまうのです。
※メーカーによって、凝固点には若干の差があります。
万が一、ケミカルタンカーのタンク内でカチカチに固まってしまうとフェノール自体の商品価値が無くなり、更にそのケミカルタンカーも他の貨物が積めなくなるため使い物にならない船になってしまいます。
そのため、フェノールの輸送中は、航行中であっても停泊中であっても24時間体制でタンク内ヒーティングを行い、加えて数時間おきに温度の確認をしていなければなりません(もちろん深夜でも必ず確認しています)。

  • 荷役時画像:荷役時に船員が蒸気を吹きかけて甲板上のバルブを加温している様子

また、タンク内はヒーティング装置で加温できますが甲板上の配管はヒーティング装置が無いため、揚げ荷役の時などは配管やバルブの中でフェノールが凍ってしまわないように船員がホースで配管に高温の蒸気をかけてあらかじめ配管の温度を上げておかなくてはならないのです。

凝固点が高いフェノールは火傷に注意をしなくてはならないのに、その一方で真夏でも凍ってしまう船員泣かせの石油化学製品なのです。