海上職

明和フリートオーナー

大島 隆幸

宝吉丸 船長
米中海運株式会社

Interview 1

子供のころ将来思い描いていた自分

私は、宮崎県の日南市で生まれ育ちました。西武ライオンズのキャンプ地は家から100m程の所で、子供の頃は少年野球に明け暮れました。
 漁師の町で、父親も親戚も漁師という環境で育ったので、小さい頃から漁師になるのは当たり前のことと考えていました。
 こうして、学校を卒業して漁師になり、18歳の時に初めて自分の家を建てました。
 再び、28歳の時に家を建てようとした時、漁師は収入が不安定という理由から銀行から借入ができなかったことをきっかけに、漁師を止め、油タンカーに乗りました。
 その後、ガス船に移り、3年目で船長になりました。36歳の時です。当時、乗組員の中で一番若く、周りは年上の船員ばかりでしたので、一人でも私が船長になることに反対する者がいれば、断るつもりでいました。
 幸い、全員が賛成してくれて、船長になることができました。早いもので、ガス船の船長になって、20年が経とうとしています。

Interview 2

仕事への思い・やりがい・志について教えてください

私の役目は、船の乗組員と家族を守ることが第一だと考えています。
 そのためには、船の安全を死守しなければなりません。
 事故を起こしたら終わりですから、乗組員には何か心配な事があれば、すぐに船長に話すように言っています。そのためにも、普段から話しやすい環境作りを心掛けています。
 また、乗組員全員の意見を聞いた上で、先頭に立って、船内の和を維持することを徹底しています。私は人間関係を大切にしてきたので、ここまでこれたのだと自負しています。ですから、乗組員には人間関係を大事にすることを求めます。

Interview 3

プライベートはどんなことをしていますか?

休みの日は、ほとんど車でパチンコに行っています。
 車は、免許を取ってから30台以上乗り換えています。最近、買った車は、CRVタイプですが、今まで外車や国産車と色々乗りました。
 母親と同居しているのですが、私が乗船中は、近くに住んでいる妹の家に行って、食事をしているので安心しています。妹の夫もタンカーの船長をしていて、かつお船の元漁師で後輩でもあることから、休みの日に一緒に出掛けたりしています。
 弟が博多に住んでいるので、たまに車で遊びに行くこともあります。私が20代の時に父親が亡くなってからは、3人兄弟の長男として、父親代わりの役目を意識するようになりました。
 休みの時は、船のことは一切考えないようにしています。また、乗船中は、仕事に集中し、家のことは殆ど気にしません。こうしてON/OFFをはっきり区別することで、心と体のバランスをとっています。

ずっと長い間、船を運航する仕事に就いていますが、今まで、船乗りを辞めたいと思ったことはありません。自分にとって天職だと思っています。