海上職

明和フリートオーナー

島本 学

興宝丸 船長
日松汽船株式会社

Interview 1

子供のころ将来思い描いていた自分

私は徳島県出羽島の出身で、通っていた学校は小学校と中学校が一緒の校舎で、校門が太平洋に向いており、卒業式が終わると先輩達が校門の前で待っていて、マグロ船やカツオ船に後輩達を連れて行くために迎えに来るといった光景が、子供の頃から当たり前のように頭の中に刷り込まれていました。

ですから、私も親も、学校を卒業したら船に乗るものだと思っていましたし、それ以外は考えられませんでした。
私が16歳の時、昭和39年10月10日の東京オリンピックをテレビで見てから、初めてマグロ船に乗り込みインド洋まで半年の航海に出たことを今でもよく覚えています。

当時を振り返れば、何も分からず、先輩達から厳しい指導を受けて船員の基礎を叩き込まれ、辞めていく者もいる中、自分でもよく耐え、頑張ったと思います。

それから船に乗り続けて約半世紀、いつまで経っても海は恐ろしいという気持ちは変わりませんが、自分にはこの仕事しか向いていなかったのだなとつくづく思います。

Interview 2

仕事への思い・やりがい等について教えてください

「無事故」であること。

自分だけでなく、船員とその家族の生活を守るため、何があっても「無事故」であり続けなければならないと思っています。
そして、普段心掛けているのは、「和」を大事にしています。

偉ぶらず、船員と同じ目線で、冗談も言うし、和気あいあいと話ができることで、お互いに分かり合い、本音で話せます。そうすることが、結果して、事故を防止し安全につながっているのだと思います。

色々な船長を見てきましたが、こういう船長がいても良いのではないでしょうか。

Interview 3

プライベートはどんなことをして過ごしていますか?

私は子供の頃から小鳥が好きで、今でも休みになると弁当を持って、山に鳥を見に行きます。

特に春先はメジロや鶯といった小鳥の雛が孵るので、よく山に出かけます。昔は小鳥を飼っていて、鳥かごも自分で作り、雛から育てていたので、良く慣れて可愛いものでした。

娘が小さかった頃は、家族で出かけたりもしましたが、今は妻と水入らずです。私が家にいる時は、毎日18時ちょうどに夕食を出してくれます。妻の料理は美味しくて、どこに出しても恥ずかしくない、私の自慢です。また、妻とはテレビの趣味が合うので、食後は一緒にテレビを見ることが多いです。

娘とは、もっぱらメールでやりとりしています。大人になっても、こうやって近況等を連絡してくれるのは嬉しいものです。ただ、私はずっと船の仕事でしたから、普段は家族と離れていましたので、大事な時期に一緒にいてあげられなかったことを今更ながら申し訳なく思い、今は、娘が幸せになってくれることを心から願っています。